歴史を語れない大人は信用されない。
私の尊敬する大人の条件は「歴史を語れるかどうか」。
私たちが普段目にしているアイディアも商品も作品も絶対的に新しいものなんてなくて、「新しいものは古いものの上に成り立つ」「その多くが既存のアイディアの組み合わせ」だと勝手に…、思ってます。
だから、既存のものを多く知っている人は新しいものへの転換も早くて、すごい人が多い。
その既存のものを多く知っていて、新しい風を吹かせることができる人は私の知る限り全員、歴史を語ってくださいます。
歴史というのは社会の教科書に書かれてるみたいな模範的なものじゃなくって…
その人じゃないと語れないその人のエキスが入り込んだものです。
(エキスっていうと気持ち悪いかなぁ…(••;))
その人がなにをやっていようと問題はないです。
その人はそのやり方で生き抜いてきて
その人にしかない語り方を持っていると思うから。
だけど、自分の生きて来た場所と自分自身の人生の歴史を語れない人は、自分の生き方に真剣に向き合ってきたのか、、と疑わしくなってしまいます…。
でもでも、熟考してきた人たちはすごくって・・・
年齢を重ねれば重ねるほど、重みが出てすごくって・・・
たった20年ぽっち生きてきた私には太刀打ちできない凄みがあるんだぁぁ
人生を生きている時間の短い私はそれを埋めるために今は模範的な歴史も知ろうとしてる。
昨日は伝統工芸にをたっぷり見てきた!
案内してくれた人の妙な昭和の安心感。(褒め言葉)と真っ赤な愛車のぎゃっぷにわおーーー!!(・o・)となってた1日でした。
今日はここまで、皆さん今日も1日はりきってまいりましょー♩